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ゆらぎ猫
初めまして。
ゆらぎ世代を歩くゆらぎ猫と申します。

50代後半になり老後のことを真剣に考えるようになりました。

人生100年時代。

まだまだ続くシニアライフを明るく朗らかに送るためにこれからの人生に生かせることを記事にしています。

私自身は昭和41年生まれ。
忌み嫌われた「丙午の女」です(笑)

しかしこの年だけ出生率が落ちたために入試も就職も恵まれました。
決して悪いことはなかったです。

33歳で離婚するときに
父に「離婚するなら立派に子供を育てあげろ」といわれたので、それから仕事をしながら色々勉強をして不動産の国家資格を取り、資産形成もしてきました。

二人の子供も無事成人しホッとしたあとは自分の人生の楽しみを見つけました。

マラソンです。
フルマラソンを何度か完走して、ウルトラマラソンで100kmも完走しています。

こんな顔していますが、努力と根性はある方だと思います(笑)

そんな私とこれからの人生のことを一緒におしゃべりしながらお散歩しませんか?

絶対にゆっくり歩きますので(笑)

【体験談】親の介護/下の世話が苦痛なのは自然な気持ち/責めないで

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小さい頃から大切に育ててもらった親が年老いてしまった。

「今度は私が親孝行をする番!」

そんな生真面目な人ほど介護ウツに陥ってしまうので要注意です。

何を隠そう私がそうでした。

私はいつか訪れるであろう「親の介護」というものが姿の見えない恐怖の存在でした。

でもよくわからないからこそ恐いのであって、介護というものをちゃんと知ろうと思い勉強をしてヘルパーの資格を取りました。

実際に勉強をしてみると知らないことばかりだったので新鮮でした。

資格取得後は、実際に訪問介護の仕事もしていました。

しかし仕事で他人の介護はできるのに、なぜか自分の親のお世話ができない不思議。

でもこれは親が大好きで真面目な人ほど陥る可能性が高いです。

目次

大好きな親だからこその呪縛

私は母が大好きでした。

子供の頃の母は、ふくよかだったので女優の京塚昌子さんに似てると言われていました。

京塚昌子さんは「肝っ玉かあさん」というドラマに出演されていた昭和のお母さんって感じの方です。

優しくて頼りがいがあっていつも笑顔のお母さん。

子供なら大好きなのは当たり前ですよね。

私が中学生の頃、郵便局で「母の日」に向けてお母さんに関する俳句を詠む企画がありました。

私はその企画に応募して見事入賞。

翌年のカレンダーにしてもらいました。

その時の句が

「お母ちゃん 下のお世話は まかせとき」

もちろんこの時は本気で思っていました。

大好きな母のお世話ができるなんて嬉しいことだし、恩返しするのは子供として当然だと。

しかし、現実は甘くなかった。

母の異変に気づく

母は気丈な人で86歳まで一人で暮らしていました。

私の家とはすぐ近くだったのでそれまでもご飯を一緒に食べたり、うちの子供たちも母の家によく遊びに行っていました。

しかし、そんな母の異変に気づいたのは母の家で洗濯物を干そうとした時です。

母は足が悪かったのでベランダに出るのもしんどくなっていました。

そんな弱音も吐かずいつも口癖は

「大丈夫!お母ちゃんはまだ元気やから」

そんな言葉を信じていた自分を責めるものを発見したのです。

汚物まみれのパンツがバケツに入っていました。

その時にやっと理解したのです。

「あ、母はトイレに間に合わなくなってるんだ!?」と・・・。

高齢者が自分で紙おむつを買いに行くのは恥ずかしいと知る

母はきっと汚した下着を娘である私に見られることはイヤだったはずです。

なのでどう話しを切り出すか悩みました。

しかし、よく見ると今履いてるズボン にもシミがついていたのです。

これはハッキリ言うしかないと決意しました。

「お母ちゃん、ひょっとしたらトイレ間に合わないんじゃない?今は洗濯しなくてもいい便利な紙パンツ(おむつという言葉はいわない)も出てるから一度試してみない?」

母は素直にうなづきました。

きっと自分でも気づいていて悩んでいたのだろうと思います。

紙おむつを自分で買いに行くなんて高齢者にはとても苦痛なことだったのだと思います。

なぜもっと早く気づいてあげられなかったのか・・・。

それからは私がドラッグストアで買って母の家に保管するようにしました。

今の時代ならネットで親御さんの家に配送してもらうのもありですね。

ダンボールに商品名が書いていないのも受けとる側にとって優しい心遣いです。

薄型のタイプを選べば紙パンツへの抵抗感も少ないと思います。

おでかけのときなどの不安解消から、まずはお試ししてもらったらいかがでしょうか?

こちらは直近1カ月で2000個以上売れている人気商品です。

頼れるものができると老化は加速すると知る

紙パンツを履くようになり汚れ物は減ったのですが、一度何かに頼るようになると老化って一気に加速するのだと感じました。

あんなに気丈だった母はすっかり丸く大人しくなり、足もどんどん弱くなりました。

自分で自分の老化に気づくと気力が落ちていくのかもしれません。

それは実際に私自身も自分の老化を意識し始めて感じていることなのです。

そんな母を一人で置いておくこともできなくなり、うちで引き取って介護する決心をしたのです。

母を引き取り自宅介護生活スタート

私は早くに夫とは離婚していて、息子は遠くへ就職していたので娘との二人暮らしでした。

母にとって娘(私)と孫娘と一緒に暮らせるのは実はこっそり嬉しそうでした。

しかし実際の介護生活ってそんな温かいものではありませんでした・・・。

太っていることが罪と知る

京塚昌子さんに似ている母なので歳を取ってもぽっちゃりさん。

私より体重が重かったのです。

まずお風呂に入れるのは一苦労でした。

イスに座ったら立てなくなるので立ったままシャワーをしてもらう日々。

一度座ってしまったときに引っ張り上げるのはメチャクチャ重くて大変でした。

自分が介護される側になった場合も

「重いより軽い方が絶対的に良い」と思い知らされました。

トイレに自分で行ってくれることのありがたさを知る

トイレもこの頃はまだ補助車を使うと母は自分で行くことができました。

ズボンを下ろして座らせてあげると自分で紙で拭くこともできますし少しの介助で大丈夫でした。

実は私の趣味はマラソンです。

なので1時間ほど近所を走りに行くのも大丈夫でした。

この家を空けられる1時間の息抜きがどれだけありがたいかを知りました。

歩けるありがたさを知る

うちに来てからしばらくすると今度はよく咳をするようになりました。

ヒューヒューと喉から変な音がしたり、ちょっと呼吸が苦しそうだったり。

なんだか心配なので病院に連れていくとまさかの肺炎でした。

その日のうちに緊急入院。

まあこれで良くなるならと病院にお願いしました。

しかし、ここから検査してまさかの腎臓がんが見つかったのです。

手術もあって入院期間は約1ヶ月。

足の弱い86歳が1ヶ月も入院すると・・・

全く歩けなくなってしまったのです。

この前まで自分でなんとか補助車を押してトイレに行けてたはずなのに。

立つことさえできなくなるなんて・・・。

ショックでしたが、腎臓がんの手術のおかげで命は救われ良くなったので感謝しています。

体を動かすことで頭も動くと知る

しかし、歩けなくなった母を家に連れて帰って面倒を見ることになると今までのようには行きません。

なんとかトイレだけは自分でしてもらおうと介護トイレをベッドの横に置きました。

いちいち移乗して用をたすのは大変そうでしたが、この行動が認知症を遠ざけるのです。

トイレがしたい、トイレに行く、下着をおろす、用をたす、紙でふく、下着をあげる、手を洗う。

私たちが普段当たり前にしていることをしてもらうことが母の認知力の維持だったのです。

しかし、その動きも段々できなくなっていきました。

次第に介護用トイレ を利用せずに紙おむつに用をたすことが多くなってきました。

動く回数が減ってくるとだんだんと母の認知能力も落ちていきます。

そしていよいよ要介護5という介護認定では最高ランクになってしまいました。

ほぼ寝たきりの状態です。

気の使い方は難しいと知る

母はよく「知らん人にお尻を拭いてもらうのは嫌やな〜」と言っていました。

その希望を叶えてあげたいので私は一人で排泄介助をしていました。

紙おむつなので尿の方は母は気を使って黙っているので定期的に確認をします。

大便の時は本当に申し訳なさそうに申告してくるので

「かまへん!かまへん!全然平気!」と汚物処理をしていました。

だって「お母ちゃん 下のお世話は まかせとき」と俳句を詠んだのは私なんですから。

しかしこの良い娘で居続けるって本当にしんどいのです。

一対一の介護は無理だと知る

誰にも愚痴を言わず、笑顔で介護し続ける。

私には無理でした。

母との会話はチグハグな会話ばかり。

定期的に訪れる汚物処理。

毎日毎日汚物を処理する日々。

私は一体こんな生活をいつまで続けるのだろう・・・

育児は成長を楽しめるけど、介護はどんどん老いていく親の姿を見るだけ。

果てしない不安とストレスで私は涙が止まらなくなって、もういっそ死んで楽になろうかなどと考え始めるようになってしまったのです。

その時に初めて兄に相談しました。

それまで良い娘で頑張っていた私の弱音を兄はちゃんと受け止めてくれたのです。

看護師をしている友人にも言われました。

「介護は一対一でしてはダメ。なるべく多くの目で見守らないと介護する人が必ず潰れてしまうよ」

その時にやっと思いきり泣いて「助けて」ということができたのです。

責任をみんなで背負ってもらうと心が軽くなると知る

そして現在、母は施設に入り穏やかに暮らしています。

コロナ禍でも完全に感染から防いでもらえました。

もし私が家で見ていたら母に感染させて死なせていたかもしれません。

そうなった場合、また私は責任を感じて自分を責めたことでしょう。

今はお互いニコニコと笑顔で会えますし、美味しいものを差し入れして短い時間ですが、昔のような会話もできています。

下のお世話の大変さを痛感したからこそ自分のことも考える

この体験から介護の時の下のお世話はどれだけ大変であるか、介護者にどれだけストレスを与えているかを知りました。

いえ、痛感したのです。

そんな私もいつかきっと誰かのお世話になる日がきます。

その時に少しでもお世話を減らそうと思いきってVIO脱毛をしました。

実は私は祖母の介護の様子も見ていました。

祖母は施設に入っていたのですが、よく会いに行っていたのでトイレ介助のシーンを見ていたのです。

祖母は下の毛が非常に少ない人でした。

ペットボトルのお水でベッド上で洗ってもらうのも簡単そうに見えました。

しかしうちの母は毛量の多い人でしたので、やはり毛に絡まる汚物を拭き取るのは大変でした。

私は現在57歳。

普段運動もしているのでまだまだ自分のことは自分でできます。

しかし、必ずいつかは誰かのお世話になる日が来るのです。

あんなに強くて優しくて明るい母がそうなったのですから。

なので来る日にそなえて今から出来ることはしておこうと思います。

そんなお話もこれからこのブログで綴っていこうと思っています。

これが本当の「自分のお尻は自分で拭く」ではないでしょうか?

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