親が施設に入った後、家の荷物はどうする?生きている父のスーツを黙って捨てた話

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父が施設に入って、5年になります。

ゆらぎ

父は今も元気です


そして父が暮らしていた家も、まだ残っています。

でも私は、その家にあった父のスーツを捨てました。

父には言っていません。

亡くなった親の物なら「遺品整理」と呼べます。

でも父は生きています。

生きている親の物を、子どもが「これはもういらない」と決めていいのか。

私が親の家を片付けて一番迷ったのは、そこでした。

この記事は手続きの解説ではありません。

正解も書けません。

うちがどうしたか、という話です。

目次

父は「この家を残しておく」と言いました

施設に入るとき、父は家についてこう言いました。

「残しておく」

父はこの家がとても気に入っていました。

だから当然のように、そう言ったのだと思います。

そして、こうも言いました。

「施設に入っても、たまにこっちにも帰ってくる」

正直に書きます。

私も兄も、父は一度施設に入ってしまったら、ここには戻ってこられないだろうと思っていました。

父は「帰る」と言っている。家族は「帰れない」と思っている。

この、ずれ。

同じ家族なのに、同じ家の話をしているのに、見ているものが違いました。

それでも、家族で話し合った記憶がありません。

父の家は賃貸住宅だったのですが、解約するかどうかを検討すらしませんでした。

理由は単純です。

父の希望が一番だったからです。

父の家は持ち家ではなく、賃貸でした。

だから「空き家になった」のとは少し事情が違います。

そして家賃は、父自身が今も払い続けています。

だから私たちは、家賃のことで気持ちが揺れたことがありません。

「もったいないから解約しよう」と言い出す人が、うちにはいませんでした。

これは、うちがたまたま恵まれていただけだと思っています。

払い続けられる家のほうが、たぶん少ないです。

だから私は「解約しないほうがいい」とは言えません。

うちは、たまたま残せただけです。

ただ、5年そのままにしていて、もったいないなとは思っていました。

父の家に住むことになり、クローゼットを開けました

ここから先は、少し予想外の展開です。

別の事情があって、私がその家に住むことになりました。

売る・貸す・空き家のまま——検索して出てくる3つの選択肢の、どれでもありませんでした。

そして、クローゼットを開けました。

父のスーツで、いっぱいでした。

父は会社を経営していた人です。

スーツの数が、そのまま働いてきた年月に見えました。

私は、整理しようと決めました。

40年以上着ていた、特別なスーツ

その中に一着、茶色いスーツがありました。

デザインも古い。

ほつれているところもある。

なのに父は、それをずっと大事にしていました。

なぜ大事なのかを、私は知っていました。

ただし、父から聞いたのではありません。

母から聞きました。

母は、こう言っていました。

「あのスーツ、お父ちゃんのお母さんが買ってくれたスーツやねんて。小さい頃に離婚して離れたお母さんが、大きくなってお父ちゃんが仕事するようになったときに作ってくれたらしい。お母さんからもらった最初で最後のプレゼントやねんて」

父は幼い頃に、離婚で母親と離れ離れになりました。

その母親が、父が働き始めたときに作ってくれた一着。

最初で最後のプレゼント。

それを父は、40年以上着ていたのです。

父は自分では、その話をしませんでした。

もう着ることはないだろう、と私は思いました。

それは事実だと思います。

でも、捨てる判断をするのは、心が痛みました。

父はまだ生きています。

これは遺品整理ではありません。

本人が生きているのに、本人の持ち物を、私が捨てるかどうか決めている。

その状態が、いちばんしんどかったです。

私は、そのスーツを父に言わず捨てました

処分したことを、私は父に言っていません。

理由があります。

父にとって、スーツは仕事着でした。

父は会社を経営していた人で、仕事が人生の軸でした。

施設に入ってからも、しばらくは後を継いだ兄が相談に行っていました。

父はまだ、経営者だったのです。

そのことが、はっきり分かった瞬間があります。

この家に住むことになったと父に伝えたとき、父はこう言いました。

「じゃあ、賃貸料をもらわないとあかんな」

私は驚いてしまって、その場はウヤムヤにしました。

でも、あとから思いました。

娘が住むなら家賃をもらう。

それが父の考え方でした。

父の中では、まだ何も終わっていなかったのです。

だからこそ、スーツを捨てたと伝えることは、その仕事を捨てるようなイメージを与えてしまう気がしました。

言えなかったのではありません。

言わない、と決めました。

ネクタイやゴルフクラブも、同じように処分しました。

洋服は捨てられたのに、ビデオと古い書棚は捨てられなかった

片付けていて、不思議なことに気づきました。

洋服は、わりとすぐに捨てられたのです。

でも、どうしても捨てられないものがありました。

ひとつは、父が好きだったビデオカセットです。

父はオードリー・ヘプバーンが好きで、洋画のビデオを持っていました。

今どき、ビデオカセットです。

再生する機械もほとんどありません。

価値としては、ゼロに近いと思います。

でも、捨てられませんでした。

もうひとつは、古くてボロボロの書棚です。

私が小さい頃、父の部屋に行くと、いつもそこにあったものです。

高価なものではありません。

でも、それが私にとって、父を思い出すものだからだと思います。

ノートなど、記録的なものも捨てられませんでした。

並べてみて、はっきりしました。

捨てられたもの捨てられなかったもの
スーツビデオカセット
ネクタイ古くてボロボロの書棚
ゴルフクラブノートなどの記録

処分できたものと、どうしても残したかったもの。その違いは値段ではありませんでした。

私にとって大きかったのは、その物にどれだけ父との記憶がくっついているか、だったのだと思います。

片付けで本当に困るのは、高価なものではありませんでした。

生きている親の物を片付ける前に、聞いておけばよかった

ここまで、うちの話ばかり書いてきました。

一般化はしにくいのですが、ひとつだけ、はっきり思うことがあります。

何を捨てて何を残すか、本人に聞けるうちに聞いておけばよかった。

私は聞きませんでした。

聞かないまま、私が決めてしまいました。

もちろん、聞けば揉めたかもしれません。

「全部残しておけ」と言われたかもしれません。

それでも、聞いてから決めるのと、聞かずに決めるのとでは、あとに残るものが違います。

親が施設に入ると、家の中の物は宙ぶらりんになります。

本人は生きている。

でも、もうその物を使わないかもしれない。

その判断を、子どもがひとりで背負うことになります。

その重さは、物の値段とはまったく関係がありませんでした。

そして親の物だけではなく、自分自身のことも「元気なうちに家族に伝えておく」必要があると感じるようになりました。私はデジタル関係についても、60歳になってから整理を始めています

それでも、後悔していることがあります

伝えなかったこと自体は、後悔していません。

言わなくてよかったと思っています。

父は絶対に、あのスーツを捨てられたくなかったと思うからです。

でも、別のことを後悔しています。

私はあのとき、「今、捨てるしかないのか」を考えませんでした。

もし今このページを読んでいる方が、親の物を捨てるかどうか迷っているなら。

そこだけは、一度考えてみてもいいかもしれません。

私は今になって、あのスーツには「捨てる」以外の残し方もあったのかもしれないと思っています。

たとえば——もし父が亡くなるときが来たら、あのスーツを棺に入れてあげればよかった。

父が幼い頃に離れた母親から、最初で最後にもらったもの。

父を送るときに、いちばん一緒にあるべきものだったのではないか。

捨ててしまった今、それはもうできません。

まだ、父の家の終活は終わっていません

父は今も施設で暮らしています。

家も、まだあります。

5年経っても、解約していません。

私はその家に住んでいます。

私たちの物も増えました。

でも父の物も、まだたくさんあります。

今、この家をどう感じているかというと——

父が亡くなるまでは、父の家です。

私たちはそこへ、仮住まいさせてもらっているだけです。

だからこれは、「実家じまいをした話」ではありません。

親が生きている間の家を、家族としてどう扱うのかという、今も途中の話です。

もし今、同じ状況にいる方がいたら。

急いで決めなくていいと思います。

施設に入った日は、その人の家をなくす日ではありませんでした。

少なくとも、うちはそうでした。

ただ、ひとつだけ。

何を捨てて何を残すか、本人に聞けるうちに聞いておくこと。

私は、それをしませんでした。

今もスーツのことは、父に言えていません。

※ この記事は私個人の経験です。契約内容や手続きについては不動産会社に、介護や住まいの相談はケアマネジャー・地域包括支援センターにご相談ください。

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